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わたしも言わせて!

『わたしも話したい!』とゆう人達でおくるつぶやきコーナー

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 太平洋戦争直後に生まれた私たちの世代は「鬼畜米英」の教育を受けた世代と違って,日本を占領したアメリカの生活(電化製品に囲まれ冷蔵庫には牛乳がたっぷり)を何の抵抗も無くうらやましく思い、その文化をほいほいと受け入れました。そんな世代が多感な中学生頃に聞いたのがアメリカンポップス。先日のブログで紹介した同窓会報を取材に来た越智田さん(やはり同世代で大学時代は軽音楽部に入っていたとか)が、その後自分で編集した青春時代のヒット曲がいっぱい入ったCDを20枚ほども送ってくださったけど、そのかなりの部分がこれらの曲でした。ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、ブレンダ・リー・・・・。聞いているうちに涙が出そうなくらい懐かしくて、早速音楽好きの元クラスメイトにも貸してあげました。
 戦争をしても本土に何の影響もなく、ましてや爆撃を受けることなど無かった国は、日本が戦後の苦労をしている時こんなに明るく楽しい曲を作れていたのですねー。

               アメリカンポップスで英語を学んだ
                                              宿屋の女将

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 事務局U君の退職が総会で会長から報告されました。先日会員のY子さんから初めて聞いたときは「エーほんとー。郡上の会員さんがみんな頼りにしてるのに辞めちゃうのー。パソコン教室どうなるの。」とがっかりしましたが、誰にも人生の選択を迫られるときはあるものですよね。思えば私も大学を卒業してすぐ家に帰るという約束を守らず民医連の病院に勤めましたが、3年後体調を崩し結局辞めて家業を継ぎました。(その間なかなか帰って来ない娘の様子を見に父はわざわざ私の居る病院へ人間ドックを受けに来たこともありましたっけ)おまけにこの2年後、労働組合の役員をしていた人を引き抜いて(?)婿さんに来てもらうことになり、その時はさすが病院の仲間に申し訳ないと思いましたが、職場のみんなは手作りの結婚式までして送り出してくれました。
私もU君を「今までご苦労さん。これからも頑張って!」と送り出したいと思います。

新しい事務局員のYさんに早速名刺を渡してきたきりかえの早い宿屋の女将
6月24日、民商婦人部(郡上支部)も署名している請願の採決が行われると聞き、郡上市議会の本会議の傍聴に出かけました。先日の一般質問のときに続いて2度目です。
提出した請願は採決順に
1妊婦検診の公費負担回数を増やして厚労省が「望ましい」としている14回に!
2ごみ収集の際の袋の値段をさげて!
3、子どもの医療費無料化を中学卒業まで入院だけでなく通院も!
いずれも文教民生委員会では否決されていて本会議でもそれを受けて3つともすんなり否決される公算でしたが、「子どもの医療費・・・」の討論になって紹介議員以外の3議員が「採択したらどうか」と意見を述べられ紛糾。暫時休憩の繰り返しの後、文教民生委員会の顔を立てて否決されるものの「段階的に無料化する」と付帯決議がされました。
まずは1歩前進ですね。とりあえずご報告まで・・・。                                                MK
 昨年6月思いがけず取材を受け11月に発行された大学の同窓会報に当館が4ページもさいて(どの記事も4ページ建てだったけど・・・)掲載されました。
 早速来て下さったのは当地の選挙演説会に参加するための元国会議員の瀬古由紀子さん。彼女は私の1つ後輩。御家族4名で泊まっていかれました。
その後はしばらく音沙汰が無かったのですがここに来て宝塚と横浜にそれぞれ御住まいの御二人が当館で落ち合ってミニ同窓会をなさったり、お母様と御二人でゆっくりしていかれたグループもありました。母校は4対6か3対7で女性の方が多かったせいか女の人ばかりが続きましたが先日大先輩の男性3名が郡上踊りの期間中に予約されました。
また、やはり大先輩の女性の皆さんが
10名くらいでクラス会をしたいとの御問い合わせ。
「このぶんだとまだまだありそうだ」と取らぬ狸の皮算用をしています。

              同窓会報の威力を思い知った宿屋の女将


 伊勢湾に流れ込む長良川の河口にある巨大なモニュメント。後世には壊してなくすか自然破壊の象徴として残されるか、それが長良川河口堰です。
かつて建設反対運動が全国規模で展開されたとき郡上八幡では既存のいろんな団体が協力して有権者の過半数の署名を集めましたが町議会では否決されました。歴代の建設大臣を出している岐阜県ですから町会議員さんへの圧力も相当なものだったに違いありません。
当時市民運動に初めて参加した人たちも多く、いっしょに署名集めをしながら「郡上一揆」の末裔がまだまだ生きていることを実感したものです。一貫して協力してくださった俳優の近藤正臣さんはそれ以来郡上八幡に別荘を持って住んでおられます。
運動は「河口堰に反対し、長良川を守る岐阜県民の会」の手で今はゲートを上げさせることをめざして続けられており
7月6日(日)14時より 岐阜県勤労福祉センターで「長良川河口堰 ゲート閉鎖13年・市民集会」が行われます。皆さんもぜひご参加下さい。      

 長良川鉄道と河口堰がライフワークになった宿屋の女将


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